IZ*ONEが事実上解散した

IZ*ONEが事実上解散した。

 

3月13日、14日に行われたコンサートは4月末解散予定のグループが解散を発表し、そこで解散するには早すぎる。

それでも解散したらしい。

まだ映像コンテンツは配信されているけど、メンバーははっきりと「2021年3月14日まで」と言っていた。

ラストコンサートの通知がないままオンラインコンサートで解散。運営のあまりの杜撰さに口を開けるしかなく、言葉は悪くともクソだ、としか言いようがない。クソだ。

メンバーの言葉で察してね✨じゃないんですわ、メンバーに言わせずにあなたたちがちゃんと報告するべきでしょうが!!!!!!!!!

と思ども、おそらく解散してしまったIZ*ONEのメンバーたちがオンラインコンサートで泣きながらしたコメントは困惑したまま聴いたせいでイマイチ実感が湧かず、なんだか訳がわからないうちに終わってしまった。

 

そして夜。

どうもよくわからない気持ちの方が大きくてTwitterで「IZ*ONE」「アイズワン」など検索ワードを変えつつ情報収集に勤しんでいたところそれはきた。

Twitterの広告にIZ *ONEの姿がいたのだ。

たった今、解散したばかりの、アイズワンの、広告が。今なら無料、dtv

それを見た瞬間なんだかわからないけどめちゃくちゃに泣いてしまった。

なんだかわからないけど全てが嫌になった。アイズワンを見ることさえ嫌になってSimejiで設定していたアイズワンの画像で作ったキーパットを標準に戻した。

インスタの検索に流れてくる違法アップロードの数々も、Twitterのトレンドに上がったアイズワン関連のワードも、全て、何もかも見るのが嫌になった。

そして泣いた。

いつぶりかと思うほどにめちゃくちゃに声を上げて泣いた。

アイズワンは私がKPOPのオタクになるきっかけをくれたアイドルで、日々心からメンバーが幸せになることを願っていた。今まで推し、と称していた人々よりももっと深く、好きだった。本当に好きだった。その人を推している自分が好き、だった私が本当に推したアイドルグループ、そして推し、キムチェウォンだった。

その今の充実したけーぽペン生活をくれたアイズワンが、アイズワンとしてのキムチェウォンが、いなくなってしまった。それを痛い程感じて、今までアイズワンが占めていた心の大部分がポッカリと開いてしまったような、そんな感じだった。

かなしかった。そして今もかなしい。

 

一言で言えば失恋したみたいな気持ちだった。失恋したことないけど。もうどうなってしまってもいいほど投げやりで、やる気の起きない気持ちは初めてで、そしてたまになんだか泣きたくなって、アイズワンという存在がこれほどまでに自分にとって大きく、そしてアイズワンという存在を深く愛していたのだ、と気づいた。どうしても自分が好きでしかなかった自分がこれほどまでに他人を愛せるのだ、と今になって初めて気づいた。そんな愛と元気と、いつも笑顔をくれたアイズワンが好きだ。解散しても、今も好きだ。

 

検索していると「アイズワンが解散しても12人の心は一つだから〜」みたいなコメントを見かけた。そうではないのだ。

アイズワンのメンバーの心が一つで、仲が良くて、最高のパフォーマンスができる12人がグループを離れて、物理的な距離を持たなければいけないこの現状がかなしいのだ。12人の心がつながっていることなんてウィズワンが一番知っている。

 

そんな自分を深夜慰めてくれたのもまたKPOPと推しだった。こんな気持ちで楽しめるかは不安だが、KPOP以外に好きなお芝居の観劇も明日控えている。

推しに泣き、推しに生かされている。

推しが私を生かしているのだ。

推しのために生きよう、そういうことは簡単で口癖のようになっている言葉ではあるけど、見に染みて今日はこの言葉が出てくる。

 

アイズワン、私が応援したのは2年半のうちのたったの一年くらいで。出会うのが遅くなったことが悔やまれるとともに活動している間に出会って本当によかったという気持ちもあって。

アイズワンの最高傑作と言われているFiestaとpanoramaのカムバックに立ち会うことができて本当によかった。

二年間お疲れ様。そしてありがとう。

最後はできればご機嫌サヨナラしたかった。

理想のサヨナラなんてできないってわかってはいるけど、アイズワンのメンバーと笑って、できれば直接、お別れを言いたかった。

それでも不安でどうなるかわからない中、最後まで駆け抜けてきたアイズワンのメンバーには心から感謝をいいたい。

ありがとう、IZ*ONE。さようなら、僕の太陽。

韓流ドラマ観たら人生変わった。

韓流ドラマ見たら人生変わった。

ありがちな題名ではあるが事実である。

 

 

私が韓流ドラマと本格的に出会ったのは2019年8月のことだった。

日曜日深夜23時から放映されていた『不滅の恋人』を見たのがきっかけだった。

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『不滅の恋人』(Yahoo !ニュース記事より)

 

私は似的感覚(似ていると感じる感覚を美的感覚になぞらえ、私はこう呼んでいる)が狂っているので確かではないが写真右側にいるイ・フィ役を演じる俳優さんのお顔が大変田中圭さんみがありどハマりしてしまった。

身分を隠した恋、実は大君(王子)のイケメン、などの少女漫画な展開に興奮するばかりであった私は週一回の放送の間が待ち遠しく当時加入していたAmazonプライムを漁る。そこで見つけたのがこれであった。

 

 

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『太陽を抱く月』(ameba TV「韓流・華流チャンネル」公式サイトより)

 

『太陽を抱く月』

これもまた子役が可愛い、かつ王道少女漫画的展開で最後は勧善懲悪的な自分の好みの展開にどハマりしてしまった。

 

韓流ドラマの突飛ながらハッピーな結末を持つ脚本にすっかり魅了されてしまった私はAmazonプライムを漁り家にいる時間は常にスマホと向かい合う生活を送ることになる。

 

そしてAmazonプライムを漁っていくうちに見つけた運命のドラマがこれだ。

 

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トッケビ』(【公式】トッケビ〜君のくれた愛しい日々〜より)

 

これは少女漫画の権化とも呼べる作品である。ひたすらかっこいい。

コンユが無双してもトッケビだから、となれるしファンタジーながら設定の矛盾が少ない。

そしてミステリアスながら美しい映像と設定により飽きのこない構成で信教・トッケビと言ってもいいくらい自分に影響のあった作品だ。

今まで若干バカにしていた韓流ドラマへの印象が変わった一作でもあった。

 

 

 

 

これほど予算をかけて、俳優さんの演技もうまくて、素晴らしい作品があるなんて!!と若干ハイになった私はハマるどころかトッケビの世界観にズブズブになっていく。

 

そしてメイキングやインタビュー映像をYouTubeで漁っていくうちについに出会ってしまった。

 

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IZ*ONE

IZ*ONEである。

HKTのエース、宮脇咲良さんもIZ*ONEの一作目の表題曲・ラヴィアンローズもなんとなく知っていた程度だった。しかし、そんな彼女たちアイドルの映像と出会い、まんまとハマっていく。

 

韓流ドラマに出会って四ヶ月目のことだった。

 

そうこうしているうちに2月にIZ*ONEがFiestaでカムバックを迎えて、韓国アイドル特有の毎日の映像、コンテンツの供給により愛は加速していく。

 

それと同時にアイドルのハイトーンカラーに憧れてブリーチをし、La vie en rose期のチェウォンのような髪色に染めたのだった。

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キム・チェウォン

 

まあ私にはあまり似合わなかったのだが。

それは置いておいて、その韓流アイドルへの憧れが乗じてダイエットを始めた。

 

最初は筋トレから、有名な韓国練習生の腹筋やスクワット、他の運動やランニングまでも始めて、韓流アイドルの美しさに少しでも近づきたい一心だった。

 

その結果2020年4月から始めたダイエットは10月31日時点で4キロの減量に成功している。

しかし元が標準体重であったため見た目は変わらず、韓流アイドルへの道は遠い。

 

しかし、あれだけのプロポーションを保って、笑顔で活動して、激しいダンスやスケジュールをこなし、私たちに笑顔を与えてくれる韓流アイドルの皆々様及び推しには頭の下がる思いでしかない。

我々一般市民からしたら想像を絶する厳しい世界ではあるだろうが、お願いだから幸せになってほしい。

そんなクソデカ感情を持つくらいには韓流アイドルが好きである。

 

 

 

韓流ドラマを見ていたら、最愛の推しIZ*ONEができ、ダイエットに成功した。

 

そして何よりも気持ちが明るくなった。

アイドルが頑張っているから、というのもあるがパフォーマンスを見るだけで明るい気持ちになれて、幸せを感じる。

アイドルの姿は人生のモチベーションにつながりダイエットにつながる。そして自分が痩せた、きれいになったという自覚は明らかに自分の自信につながった。

そして彼女たちの言葉をそのまま受け取りたいがために韓国語も勉強し始め、ドラマの効果もあってか今では6割ほどなら聞き取れる。語学が苦手な自分にとっては快挙である。

 

そんな推しの存在には感謝しても仕切れない。

ありがとう、韓流ドラマ

ありがとう、IZ*ONE

全ての韓流コンテンツに関わる皆々様、ありがとう…

 

韓国ドラマ邦題激ダサ問題について

なんども自分の記事内で言及しているが、邦題がなぜかよくわからない方向に走って行ってしまう現象を私は「邦題激ダサ問題」と呼称している。

なぜ韓国ドラマ始め洋画等々は激ダサ邦題をつけてしまうのか・・・

このままアマゾンの奥地に向かってしまいたいところだがおおかた海外の作品は市場が小さい、興行収入が少ないとかそう行った理由なのだろう。とはいえ許し難いことであるが。

 

なぜそう激ダサ邦題がついてしまうのか、それについては詳しい人物も聞き込みもできないのでとりあえずいち消費者の心理、なぜ激ダサ邦題が許し難いのかについて考察していこうと思う。

 

【なぜ許し難いのか】

 

①ナメられてる気がする

 

単純に「わかりやすい」邦題、ナメられてる気がする。「わかりやすい」邦題じゃないわからないだろ、こんなの、という感じがしてとても不快である。

確かに、市場を広げたい、収入を増やしたい、だからわかりやすくして裾野を広げようという発想自体はわからなくもない。

ただわかりやすさから超越しすぎて逆にダサいし、むしろその「わかりやすさ」に、「邦題をつけた人」の主観が入ってしまうから余計そう思う。

日本は日本語が公用語であるから訳されたからには周りへの「わかりやすさ」のためにその激ダサ邦題を使わなければいけないのにそんな邦題のつけ手の主観が混じった邦題だの使いたくないのだ。

その作品が日本ではそう呼ばれることになってそれは公開されて何十年、何百年と続くのにそれがわかっていなくて目先の「わかりやすさ」や利益にとらわれすぎた結果逆に人を惹きつけ難い題名になっているような気がする。

それは元の作品を作った作り手へのリスペクトが欠けているとさえ感じる。

 

 

 

②作品へのリスペクトが欠けていると感じる

 

前項でも述べた通りにリスペクトが欠けていると感じる。

まず邦題、そして韓国ドラマあるあるの元はシンプルでシックなのに日本のサムネイルはピンク〜キラキラ〜なフォント、表紙になっている問題。

韓国の制作側が熟考の上、その作品に最適で、良さを伝えられると思ったから元のシンプルでシックなものにしたはずなのにそれを必要以上にキラキラ〜脳内お花畑〜的な表紙にしてしまうのか。

これもそういうのが好きなんだろ、といったナメられているような態度を感じるし元の表紙がよく考えられて作られていることは自明なのにそれを改悪とも呼べる改変をするのはリスペクトが欠けているとしか思えない。

 

 

 

主に以上の二点が許し難い点であると考える。

しかしその点でもNetflixは良くできていると私は思っていて、ドラマの邦題は大抵が原題の直訳であることが多くほとんど無駄な副題をつけたりしない。

そこにただ、韓国ドラマをただのドラマとして、印象を操作せずただそこにあるあり方がとても好ましい。

『愛の不時着』もNetflixでなければきっと「〜国境をこえて舞い降りた彼女〜」だとか何だとか要らん副題がついていたであろうと思うし、何なら『愛の不時着』さえ翻訳されていないかもしれない。

この際ぜひ翻訳をしている会社はNetflixでは「面白いから」「面白さが広まったから」韓国ドラマが流行った、という事実を受け止めて「わかりやすさ」に走った結果の邦題激ダサ問題からの脱却を目指して欲しいものである。

いち消費者として強くそう思う。

『真心が届く〜僕とスターのオフィス・ラブ?!〜』(진심이닿다)個人レポ

この作品は2019年2月にtvNで放送されたもので、スタジオドラゴン、tvNというだけで期待値は爆上がりだったのだがまあ期待通りにハマってしまった。

日本での配信はMnetとかスカパーだけで加入していないので新作だがあまりの見たさにTUTAYAのDVDレンタルを利用した。

 

 

主役の二人を演じている二人は言わずと知れた『トッケビ』の死神とサニーのカップルでそのために見たところも正直あるが、当たり前ではあるが同じビジュアルの二人でも違う作品、違う人物であるので拍子抜けするほど『トッケビ』がチラつかずにこの作品に没入できた。

とはいえ『トッケビ』の死神とサニーは転生後に刑事と女優で出会うし、その二人の関係をこの作品から想像するには楽しいように思う。ただ全く被りはしなかった。

そのくらい違う人としてカメラの前にいた。ひとえに二人の演技力の賜物であるし、他にも韓国の俳優さんの多くは本当にビジュアルとかセット以上に「違う人」として「そこに居る」人が多いように思う。

 

 

 

この作品は「僕とスターのオフィス・ラブ?!」といったような脳内お花畑的な邦題副題がついているがもちろんこんな浮ついた話ではなく、邦題激ダサ問題の被害者と言って間違いない。

韓国語の題名は『진심이닿다(ジンシミタッタ)』で暖かな感じがするし法律事務所が舞台ということもあってポスターもシックな色合いのものなのにそれに比べてTUTAYAのDVDの表紙はピンク〜キラキラ〜でまた辟易した。とはいえ作品自体はとても大好きなのでまず作品の紹介をしようと思う。

 

 

以下あらすじ

 

 

 

 

世界の女神とも呼ばれ一世を風靡した女優オ・ユンソ(本名オ・ジンシム/演ユ・インナ)は『愛は傷つくもの』という作品に出演するため、法律事務所で秘書として3ヶ月間役作りのために働くことになる。そこで出会ったのはクォン・ジョンロク(イ・ドンウク)という無愛想な弁護士で最初はお互いを敬遠していたがだんだんとお互いを知るうちに惹かれあっていく。

 

 

 

といった内容である。

 

以下よきポイント紹介に入る。

 

 

 

①王道韓国ドラマの話の構成

 

オ・ユンソの麻薬疑惑事件、ドラマ現場、クォン・ジョンロクの担当する事件、大学時代の友人である検事たち、また法律事務所Alwaysの賑やかな面々と見所、話の柱はたくさんあり、まさしく王道韓国ドラマだった。

ただ、事件を明らかにする過程だとかがかなりライトでさらっとしていたのでいつまでも追ってくる敵が好き、という人にはあまり向かないかもしれない。

私は個人的にこういった難しい問題をいつまでも抱えながら、視聴者をドギマギさせながらもイチャイチャシーンに入るのがかなり気が散って苦手なので、ライトな話の展開はだいぶ好きだった。この作品全体に言えることだがどちらかといえば人間関係に重点が置かれている話であるように思う。

そして王道ラブコメ!!なので笑える要素も多く最初『太陽の末裔』のパロディから始まったのは死ぬほど笑ったので少なくともまずは『太陽の末裔』から視聴することを勧める。

 

 

 

②ユ・インナの演技が可愛い!!

 

単なる所感ではあるが、普通にユ・インナの天真爛漫な演技が本当に良かった。ありえないほど可愛いし「恋」という感じのビジュアル。それでも彼女の精神的な成長に伴って最初の物知らずな感じからしっかりと自分の足で立てるようになっていく感じも含めて愛おしい、と思わせる演技だった。

 

 

 

③ちゃんと仕事するオフィスラブ

 

二人の関係は最初対立から始まり、そこからいきなり恋愛関係に発展するのではなくまず仕事としての信頼関係から恋愛関係に発展する感じがとても良い。

仕事でもプライベートでもよき「パートナー」として描かれているのがとても良く、オフィスラブ、といっても仕事はちゃんとするスタイルなのが好感が持てた。仕事しないでイチャイチャしていると個人的に不安になってしまうし仕事しろや・・となってしまうので・・・

 

 

 

最後に、『真心が届く』はまず韓国の題名もダサくね??と思わなくもないがオ・ユンソの本名が「ジンシム(韓国語で真心、本心)」という設定だと知ったらもうこの作品はこの題名以外つかない。最後の方に予想通り「ジンシム」を利用した甘いセリフも出てきてとても満足だった。

 

 

 

 

全体的に主役二人のイチャイチャが中心ではあるので好みは別れるかもしれないが期待以上に、というと失礼だが話の停滞するところが見当たらず二人のイチャイチャだけでなく作品として普通に完成度の高い作品であると思った。

 

 

 

 

 

 

『サイコだけど大丈夫』個人レポ

『サイコだけど大丈夫』のサムネイル(?)を最初見たときは狂人、非人道的なサイコパスがウヨウヨいて理解不能なサスペンスのようなものであると勝手に思っていて何が面白いのだろうと首を傾げてたのだった。しかし蓋を開けると全くそんなことはなく私が勝手に話の構成上サイコ側だと思っていたキム・スヒョンは全くサイコパスではなかった。

 

それはさておきこの話は童話作家コ・ムニョン(ソ・イェジ)と精神病院の保護士をしているムン・ガンテ(キム・スヒョン)、その兄で自閉症を持ったムン・サンテ(オ・ジョンセ)がそれぞれ抱えたトラウマを幼い頃に住んでいたソンジン市で癒していく、と言う話の構造としてはありがちとも言える話である。

 

いつもではあるがこのドラマを見た前提の個人レポであることをご理解いただきたい。戻るなら今である。

 

 

 

 

 

 

 

 

とりあえず魅力を四つにまとめてみる。

 

 

 ①作品の構成と美術

この作品ではムニョンとガンテの出会い、和解、恋、ムニョン母の罪による別れ、それを繋ぐサンテが描いたガンテの寝顔の絵、それぞれの人生と出会いをまとめたムニョンの童話『本当の顔を探して』と旅、兄の弟からの自立、というまとめてみるとわりかしありがちでドラマの定石とも言える流れであるがムニョンの童話、彼女自身の容貌の怪しさ、童話をモチーフにしたオープニング、各話の構成などにまず魅力にあって、それでいてそれぞれの感情描写が省かれていないところ、もつれた糸、関係を一つ一つ、少しずつ少しずつ解いていってしがらみから解放されて未来が明るくなっていく感じがとても好感があったのだと思う。

 

それぞれの人物の過去は劇的といえば劇的でもあるが言ってしまえばムニョンの母はいわゆる毒親で、ムン兄弟は家族だから、という理由だけで離れられない、という状況は身の回りにありふれていて、それに対する答え、最適解を見つけ出した三人はどこか羨ましく眩しい。また最後の童話は上手く童話的に暗示がまとまっていてただのノンフィクションになりきっていないところがとても良いと思った。

 

 

 

②登場人物への共感とどこか安心するフレーズ

 

個人的にこの作品中でいつも我慢を強いられてきたガンテに対してこのコロナ禍での強いられた我慢を連想せざるを得ない。それを強いられなくともガンテの兄のために生きてきた人生というのは悲哀を誘うものであるがこの経験によって感情移入が深まったように思われる。

 

また「OK精神病院(日本語訳)」の「大丈夫じゃなくても大丈夫」というスローガンは決して大丈夫ではなさそうな人々が入院しているのになぜか説得力があり、自身が大丈夫でも大丈夫じゃなくても「大丈夫」という気持ちになってくる。というより、韓国語の「ケンチャナ」という響き、意味がそう思わせるのかもしれない。

 

 

 

③恋愛について

 

彼らの恋だけに焦点を当ててみると、以前心理学で「恋とは自分と違うものを持った人に興味を持ち、その中で自分と似通ったものを感じて惹かれていく」と言ったことを聞きかじったことがあるがこれに全て当てはまる。ムニョンは感情をあらわにしていてわがままで、一方ガンテはいつも兄のために生き、いつも自分の感情をあらわにすることを我慢している。

 

しかし二人には母親に愛されなかったという記憶からの孤独感があり、それは二人の対照的な性格と、その中にある同じものでありこの法則に当てはまっている関係は心理学的にも立証されるものでありだからこそしっくりくるのではないかと思った。

 

 

 

童話作家コムニョンのビジュアル

ムニョンのビジュアルに焦点を置いてみると、ムニョンが母親の呪縛から逃れるために髪を切るシーンがあるがその前とあとでメイクが変化している。登場ではアイシャドウは濃いめ、リップの色は赤、その後はコーラルなどの肌馴染みのいいもので目に重点を置いたメイクであったが、髪を切った後はリップメイクに重点を置いてアイシャドウは控えめ、服の色も明るく少女的なものが多くなっている。その変化が美術で現れていて、そしてムニョンを演じるソ・イェジさんの大人びていてそれでいてどこか少女的なお顔立ちも相まって変化が明確に現れているのが素敵である。

 

余談であるがガンテ兄弟も最初の方はカーテンを閉め切った暗い部屋の描写が多いが暗鬱として気持ちが晴れるにつれ画面も明るくなっていく。

 

そう言った感情描写が明確で、それでいて自然で、と言った韓国ドラマの枠の長さを生かしたドラマであったように思う。

 

 ただ個人的に最後の大どんでん返し!!!と言った内容が少し苦手であった。少し設定も無理だったし。

しかし、それだけの執着、大人になったムニョンと母の対話がなされたことで物語のスピード感はアップし、感情としても視聴者が共感、飲み込める内容にはなったのではないかと思った。

 

 

 

 

 

話を追わなくてもソ・イェジさんが各話で繰り広げるファッションショーとも呼べる衣装の変化やセットの美しさ、怪しげなostだけでも見ていて楽しいものであると思う。おすすめである。

『トッケビ〜君がくれた愛しい日々〜』個人レポ

トッケビ〜君のくれた愛しい日々〜』は私が韓国ドラマを見てきて一番好きなドラマである。

この前視聴済みの作品は22作品を超えたがいまだに追い越されていない。

ここでは『トッケビ』と略(?)して表記するが一体どうして韓国ドラマの邦名はこうもダサいのだろうか。個人的に邦題ダサダサ問題と言っている現象であるが「君のくれた愛しい日々」とあの日本版のピンク〜キラキラ〜なフォントには毎回辟易する。

どのドラマでもあえてチープに見せているの??と思わずにはいられないくらい幼稚に見えるフォントばかりである。韓国版の「トッケビ」とハングルで墨書で書かれたあのシンプルなポスターの方が世界観ともあっていて製作陣の意図がより伝わると思うのだが……

 

それはそうと、「トッケビ」私のone pickである。ここでネッコヤを思い浮かべた私は日韓グローバルアイドルIZ*ONEのファンであるがそれはそうとして「トッケビ」、素晴らしい。

脚本の素晴らしさはもちろん、感情のすれ違い、神秘的な雰囲気に合ったセット、フィルム感、演技などが全て完璧にマッチしていて複雑な話なのにツッコミどころがほとんどない。またコメディパートとシリアスパートの割合がちょうどよく、登場人物の衣装を見るだけでも素敵で絵になる。

 

そんな「トッケビ」以下あらすじである。(若干のネタバレも含むかもしれない)

 

 

 

 

 

 

高麗の時代に生まれたキム・シン(コン・ユ)は武臣として活躍していたがあまりの民衆からの人気に王に疎まれ、謀反の疑いをかけられて処刑されてしまう。しかし、キム・シンを悼む民衆の声が神に届き、不死身で不思議な能力を使うことができる「トッケビ(鬼)」として生き返る。

一方2016年の現代を女子高生として生きるチ・ウンタク(キム・ゴウン)は幽霊の見える特異体質を持ちながら意地悪な叔母のもとで暮らしていた。チ・ウンタクの母は交通事故で一度死にかけていたがキム・シンに助けられ、当時母のお腹にいたチ・ウンタクはそれによって「トッケビの花嫁」になる。

チウンタクは19歳の誕生日を祝おうと海辺で一人ケーキにろうそくを立てて吹き消す。するとそこにはチ・ウンタクがろうそくを吹き消したことで召喚されたキム・シンがおり、そこで二人は出会う。その後キム・シンと同居している死神(イ・ドンンウク)、チ・ウンタクのバイト先の社長のサニー(ユ・インナ)、キム・シンの世話を任されているユ・ドクファ(ユク・ソンジェ)などと出会い、それぞれの運命が交差していく。

 

 

 

 

 

 

 

以上軽いあらすじであるがこの後のエピソード全てネタバレに感じてしまうほどに明らかになっていく新事実!!!が多すぎるのでもうここは割り切って自分の好きなトッケビのシーンをたくさん紹介していくコーナーにしようと思う。これは視聴済みであることを想定したものであるのでご注意願いたい。

 

 

 

 

 

 

せっかくだから順位にする。

 

1位

サニーが自宅で花占いのように焼酎をコップに注ぎながら「会いたい」「会いたくない」と言うが結局「会いたい」で終わり、「何度やっても会いたいから始めちゃう」というシーン。

 

可愛い。この二人は会っている時間よりも会わない時間の方が長くてそれを代表するエピソードといっても過言でないように思う。

個人的に死神とサニーの関係は大好きで、前世のワン・ヨとキム・ソンの関係から大好きである。まず前世からの縁で来世にも会うと言うのはロマンチックすぎて素敵だし、弱い死神に対してラジオに壮大なラブレターを投稿しながらも自ら縁を絶つ強いサニーはもっと素敵で、便りは出さないと言ったのに死後死神の元に名簿が届いてしまうという結末まで可愛い。

サニーは決して弱くはないけど少し強がりで見栄っ張りなところがあるのに死神の前ではそれを装えないのも可愛いし来世ではそういうふりしててもバレてて、死神はちゃんと分かってて優しく見守っているのが可愛い。もうこの二人の関係が尊い。来世では女優と刑事で出会うが、その時は死神とサニーの時のようにサニーからグイグイ行くのではなくて死神だった方が結構グイグイ行く感じが大変たまらない。

ぜひ全問正解の恋をして、会わない時間よりも会っている時間の方が長くあってほしい二人である。幸せになってほしい。

 

 

 

 

2位

29歳のチ・ウンタクとキム・シンがアットプラットホームでデートするときに、横を通ったはしゃいだ女子高生を見てチウンタクは「若いわね」というがキム・シンがその様子を見て笑うシーン

 

可愛い。はしゃいだ女子高生は二人が出会った頃のチ・ウンタクの年齢と近くて、キムシンは長く生きているからおそらく「あなたもこうだったのに」と思って微笑む感じが尊い

この時の微笑みは「あなたもこうだったのに「若いわね」というなんて」という可笑しみと十年の間に随分大人になったのだという時の流れと、それを全て含んでいてそれでいてチウンタクが愛しくてたまらない、一緒に居られて嬉しい、といったように微笑むキムシン全てが尊い。そして好きな人の前で少しすましてしまうチ・ウンタクも大人になったけど、高校生の頃の騒がしい部分を隠して大人になったというだけ、本質は変わらない、という可愛いらしさがあって大変素敵である。

 

 

 

 

3位

高校生のチ・ウンタクのバイト先にキム・シンが訪れ、キム・シンが言った「500万(オベク)」を「告白(コベク)かと思った」と言うシーン

 

 

この時のセリフは割と何気ない様子で描かれてはいるが、 キム・シンとチ・ウンタクは主にキム・シンの葛藤によって不安定な関係で、このシーンは軽い仲直りのようなシーンなのにキム・シンの葛藤はいざ知らずいつものように軽口を叩いてしまうチ・ウンタクが愛らしくて可愛い。

 

 

 

 

 

 

 

この他にも好きではないシーンはないし高麗時代の回想で出てくるキム・ソン(サニーの前世、キム・シンの妹)役のキム・ソヒョンちゃんの美しさには毎回惚れ惚れするし、チ・ウンタクが事あるごとに「危険でしょ」と言って火を吹き消してキム・シンを呼ぶシーンも、キム・シンが着物を着て「何だこれ!(日本語)」と言うシーンも、2016年の別れのシーンでキム・シンが画面の外から手を引いてチ・ウンタクにキスをするシーンも、29歳のチ・ウンタクが全てを思い出すケベックのシーンも、死神が死んだサニーの手を引いて茶屋から出て行くシーンも、すべて、好きでなかったシーンなどないが、問題はNetflixアマゾンプライムでシーンのカットや訳が違うことであり私はアマプラで2回、ネトフリで1回視聴したのでおそらくアマプラ版の方が馴染みがある。

しかしこうしてファンを名乗る以上いつかは、いや今すぐにでもトッケビのブルーレイ版を買うべきである。(噂によるとブルーレイ版の方がはるかに描写が繊細らしい)

 

 

 

 

とはいえ、幾分カットされているであろうけども『トッケビ』の死生観、一つの魂には人生が4回あって、タネを蒔く人生、水をやる人生、育てる人生、収穫する人生と言ったものや、お茶を飲むと現世の記憶を忘れられる、人間の強い意志を持てば神の意志も運命も変えられると言った内容は自分の中で「信教・トッケビ」と言えるほどには魅力的であった。人生はドラマのようにはいかないけども、いくらか励まされる、何回めの人生かはわからないけど強く生きていこうと、そう思える作品である。

 

 

一話60〜90分、16話の構成で気軽に勧めるには少し長いがまだ見ていない人にはぜひ見てみてほしい作品である。

 

 

 

 

 

 

『太陽を抱く月』個人レポ

このレポは私の個人的なレポと経験談です。

 

 

私が韓国ドラマというものに本格的に出会ったのはNHKで日曜11:00から放送されていた「不滅の恋人」をみたことであった。イ・フィ役の俳優さんがとてもかっこよくてそこが出会いだったのだけど、それでも韓国ドラマは長々、ドロドロのイメージがあった私にとっては爽やかできらびやかな朝鮮王朝の史劇は大変心惹かれるものだった。

 

そこで、当時加入していたAmazon Prime Videoをあさり始める。当時の私は遅々として進まぬ(週一回の放送なのだから当たり前だが)にしびれを切らしていた。早く続きが見たい、なんでもいいから似たような良いコンテンツに触れたい、何かいいドラマはおらんか、半ばナマハゲのような気持ちでたどり着いた史劇、それが『太陽を抱く月』だった。

 

『太陽を抱く月』は一話60分とちょっと、12話という構成で韓国ドラマの初心者にとっては大変手の出しやすいドラマである。

 

以下あらすじ

 

 

 

 

朝鮮王朝時代、科挙の合格者発表を見に行った主人公ヨヌは内侍を名乗る少年フォン(実は皇太子)と出会い、二人は引かれあう。

その後、世子嬪(皇太子妃)には最終的にヨヌが選ばれるが何者かの呪いによって病を得て、死んでしまう。

しかし、ある巫女によって記憶を失いながらも生きかえり、巫女・ウォルとして存在しており、厄受け巫女として王宮の王の寝殿で夜毎に仕えるがその存在がバレてしまい、王を誘惑した罪で活人署に入れられてしまう。その後、その罪をとき、記憶も戻り、ウォルは王妃として嫁ぐ、という内容である。

 

 

これはヨヌとフォンの間の話で実際にはフォンの妹のミナ王女のヨム(ヨヌの兄)への恋慕、ヨヌとともに長い間過ごしていたソルのヨムへの恋慕という三角関係、フォンと腹違いの兄の陽明君との政治争い、ヨヌへの三角関係など韓国ドラマの史劇らしく、恋・朝敵・紆余曲折の三本立てである。

 

 

 

 

主にこれはファンタジーであり、まあ全てのドラマにおいて言えることだが身分違いの恋、記憶喪失、魔術、だのなんだの現実にはあり得ない設定が出てくるが細かいことはさておき、政争はしっかり作戦的に描かれているし、その異世界性ゆえか、話全体で整合性を欠くことはあまりなくこれがファンタジーの醍醐味だ、と言える。

 

あと何がいいか、子役がかわいいほんとにかわいい。キムスヒョン、キムユジョンとどちらも今をときめく女優さんであるが、子供の頃のお二人はまさに花が咲くような美しさでそのお顔が画面に映るだけでときめく。

正直女優さんの顔が可愛いだけで韓国ドラマを見ることは多いがやはり話が面白くなければ見ていられないものなのでこのドラマはどちらもクリアした稀有なドラマと言えるように思う。

 

また、韓国ドラマにありがちな少女マンガ的なセリフ、効果、設定がとてもときめく。個人的に青春へのコンプレックスが強く、中高生を題材にした漫画は読めば読むほど穴があったら入りたいほどには見ていて苦痛になってきてしまうが、完全に別世界の話でその要素があると素直にときめいてしまう。

 

それに主人公格の人々は皆優しい。優しさで、たまにそれが折れまがろうとも、その傲慢ささえ愛おしくなってしまうほどに優しく、魅力がある。その人間的な魅力はひとえにドラマの脚本だけでなく、俳優さんの演技によるものであり、その人が本当にそこにいて、愛すべき人物になるところが私は好きだ。

 

 

もし韓国ドラマを見たい、何から始めればいい、と問われたら私は迷いなくこの『太陽を抱く月』をお勧めすると思う。